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海外駐在員時代の思い出等

Archive for the ‘中国’ Category

1本、2本、3本全部日本(広東語ネタ)

Posted by japansmallpotatoes : 11月 14, 2009

香港駐在当時に広東人から教えてもらった広東語の冗談ですが(声調は無視してください)、その後上海語で日本人と呼ばれて、初めてなるほどと思ったものです。

広州では日本(yat bun)は1本(yat bun)と広東人には聞こえる

北京では日本(ri ben)は2本(yi bun)と広東人には聞こえる

上海では日本(zhak bun)は3本(saam bun)と広東人には聞こえる

ついでに,発音のへたくそな日本人(私)の広東語では、半分(一半 yat bun)も日本と広東人には聞こえる

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カイロで会った温州人(中国のユダヤ人)

Posted by japansmallpotatoes : 11月 10, 2009

カイロ駐在当時、ザマレクと言う中国大使館の近くに住んでいました。宿舎近くの郵便局で、近所に住む劉大夫(Dr.Liu)と言う中医(鍼灸医)と知り合いになったお陰で、海外の中国人社会の片鱗を見る事ができました。劉大夫は西安出身で、元々英語の通訳でしたが、海外のお客を中医に案内する仕事が多く、鍼灸に興味を覚え自分も中医の資格を取ったと言う変り種です。北京の天安門事件の際、西安で過激活動を行い、命が危なくなったので海外逃亡した口との事です。カイロ市内の私立病院が東洋医学部門を経営しており、漢方薬剤師の金大夫とペアで雇われて、二人で借家住まいをしておりました。

その家が、中国大使館に勤める、或いは中国大使館敷地内にある寮の居住者の夜の息抜きの場所となっていました。中国国内には地方政府(市政府など)経営の貿易会社が多数有りますが、彼らが海外進出する際には、大使館が長期滞在のホテル代わりに寮を提供してくれる様です。お陰で、劉大夫の家に夜遊びに行き、中国大使館の駐在武官、コック、運転手(日本大使館は運転手は現地人の様ですが)、貿易会社駐在員、変わった所では、ピンポン、体操の出稼ぎコーチ等と知り合いになりました。当時のカイロには、ピンポンの世界チャンピオンの経験者がおり、皆から「世界杯」と呼ばれていました。但し、世界チャンピオンでも余り待遇には恵まれぬ様で、ずいぶん質素な生活をしておりました。

その時初めて、海外の中国人の間で浙江省温州人が随分浮いた存在と言う事に気づきました。ある日、宿舎の玄関の呼び鈴が鳴り出てみると、英語をしゃべれぬ中国人娘がメモを見ながらアラビア語で持っている中国民芸品を買ってくれと、押し売りを始めました。何事かと驚きながらも丁重にお断りしましたが、先方もベルを鳴らしたら、アジア人の顔をした人間が出て来たので、驚いていた様子でした。後で、中国人に聞くと、温州系の会社が外国語も話せぬ人間にパスポート(公用旅券を持っている者もいるとの噂でした。)入手を世話して、海外出稼ぎを奨励しているとの事でした。商才があり、行動力も有る温州人に対して、その他の中国人は騙されない様に緊張している雰囲気でした。

事実その後、2週間の観光ビザを持った10人程度の大連からのグループのメンバー二人と劉大夫の家で会った事があります。彼らは、温州の会社がアレキサンドリアに開設する中国城(現在アフリカ各地に出来ている中国産品を売る小売店市場)で働くと言う文句に釣られて、相当の金を払いカイロまで来た由です。ところが、労働ビザへの切り替えが旨くいかないとかでもめて、アレキサンドリア駐在の温州人の担当が飛び降り自殺をすると言う大事になり、結局大連のグループはビザの期限内に手ぶらで中国に戻る気の毒な結末になりました。彼らを一度宿舎まで送って行きましたが、温州人3-4人が住んでいる民間のフラットに押し込められていました。

数年後上海駐在となり、福州路の大型書店「上海書城」のビジネス本売り場で、「温州人○○」と言うノウハウ本が溢れているのを見てびっくり。温州人が中国のユダヤ人として、恐れられ且つ憧れの的であると初めて知りました。上海の土地が上海人にも買えぬように高騰したのも、温州人の買占めによると上海人に教えられたものです。事実上海でのアパート探しの物件下見の際に、温州人がオーナーと言う事がありました。又、100円均一品等の小物仕入で有名な義烏市で売られている商品の大部分が温州で作られているとも聞いた事が有ります。

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エジプトは埃だらけ?

Posted by japansmallpotatoes : 11月 7, 2009

カイロ駐在時代に、アメリカ人と結婚していて、自分個人で中国産品を輸入して、エジプトで商売している、何さんという奥さんと、パーティーで知り合った事が有ります。英語で話をしていましたが、小生が少し中国語を話せると判ると、中国人は気前が良いと言う話題になりました。どうしてと聞くと、外国の国名に尊敬を込めた雅字を使用していると言うものです。確かに日本語の使用漢字と違い良い字を選んでるなあーと思います。

彼女は嬉しそうに、「アメリカ 美国、イギリス 英国 (これは日本語と同じ)、ドイツ 徳国、フランス 法国」と名前をあげていきました。小生が、「えー、それじゃエジプトはまずいんじゃないの」と聞くと、いやな顔をして黙り込んでしまう彼女でした。

中国語でエジプトはEGの音を取ってと思いますが、AIJIと発音し、ほこりが及ぶと言う漢字”埃及”を充てています。確かにカイロでは、春先に50日間続くと言う意味で、砂嵐の事を「ハムシーン」と呼んでおり、その頃は部屋の中まで細かい砂が進入して来て往生します。きっと中国人もカイロで埃に往生した経験のある人が、漢字を当てはめたのではと邪推しています。何人か素晴らしい中国語を話すエジプト人通訳に会った事があります。 中国の経済発展に連れて、今後ますます中国語を勉強するエジプト人が増えると思うが、「埃及」では拙くないかなー。 いっそ「愛及」に変えたら、エジプト人も喜ぶのではと思っております。

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イランで道を尋ねると「ちゃらんぽらん」

Posted by japansmallpotatoes : 11月 7, 2009

中国語を学んでいる時に、白帝社出版、沈国威著の「中級中国語 資格にチャレンジ」と言う教科書を使っていた事がありました。大変優れた内容の教科書で、中国語検定試験の出題内容に沿った例題も豊富で、しかも沈先生のホームページを覗くと、その回答が見つかると言う親切さでした。 

その第9課に、”問路(道を尋ねる)”と言うテキストが有ります。内容は世界各地を旅行していて、道を尋ねると言う些細な事で、その訪問国の人情味や民族性が判るというものです。 ”ドイツでは道を尋ねられた人が、懐から紙とペンを取り出して、さらさらと地図を書いて道を教えてくれた。フランスでは、英語で尋ねたにもかかわらず、麗しい響きのフランス語で、ペラペラペラと答えられた。イギリスでは、老紳士が手持ちの傘で曲がり角を指し示して教えてくれ、その曲がり角まで行って後ろを振り返ると、老紳士は元の場所に立って、そこだよと言う風に頭を頷かせた。日本では、英語の話せない中年の人が、バス停まで案内してくれ、バス停でバスを待っていた他の人に、この遠来の人がちゃんとバスに乗って、降りれるように頼んでくれた。”と言う内容です。

作者の観察力と例えのうまさに感心すると共に、1970年代後半イランに駐在当時の事を思い出しました。当時日本人の間では、イラン人に道を聞く際には必ず2-3人に同じ質問をして、多数決で方角を決める様にと言われていました。イラン人は例え自分が知らない場所でも、自信満々に違う方向を教えるので、気を付けなければならないと言う事です。小生の経験でも、決して悪意を持っている訳では有りませんが、外国人に対して何かを知らないと言う事に、自尊心が許さぬのか。或いは彼ら独特の価値観で、知らないのは恥だが、間違うのは恥ずかしくないと言う気持ちが伝わりました。

中国語でという漢字を使った熟語にろくな意味は有りません。胡搞(いたずらをする)胡来(でたらめな方法でやる)胡言(たわごと)等等。歴史の五胡十六国の胡が、必ずしもイラン系とは限らないと思いますが、イラン系民族も胡の中に混じっていたのは間違い無い筈です。とすると、「(古代の)イラン人が言う」というのは”胡説”となりますが、現代中国語での意味は「いい加減な事を言う」という意味になります。もしかして、古代の中国人もイラン人に道を尋ねて、反対方向を教えられ、西域の砂漠で命を落としそうになったのかも知れません。

もしかして、古代の日本人もイラン人に何か騙されたのかも知れません。イランのペルシャ語のCHARAND-O-PORAND“は「いい加減な事を言う」意味と日本人の先輩に教わった事があります。それって日本語の「ちゃらんぽらん」はペルシャ語と同じと言う事ではないですか。

誤解なき様に言っておきますが、小生はイラン人大好き人間ですので、面白、可笑しく伝えても、彼らを馬鹿にしている訳では有りません。

 

トラックバックさせて戴きました。 2009/11/28

襦袢がアラビア語!?

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ピラミッド(金字塔)vs.万里の長城

Posted by japansmallpotatoes : 10月 20, 2009

1999-2000年はカイロに駐在していましたが、日本から遠来のお客さんが来ると、業務の合間にギザのピラミッドへよく案内していたものです。私が初めて、ギザのピラミッドを見たのは、1978年の大阪勤務の頃に湾岸諸国、サウジアラビア、エジプトへ出張した際です。当時も、その大きさに圧倒され感動したものですが、その後も何度行っても、間近で見ると規模の大きさに何時も改めて感心します。同行の日本人のお客さんは、ギザの市街地を抜け間近にピラミッドが見える所で、一様にぎょっと驚いたものでした。

拍子抜けしたのは、中国のメーカーの許社長を案内した時でした。品質クレームの解決に、どちらかと言えば、嫌がる人を呼び寄せていたので、気分的に滅入っていたのかも知れませんが、ピラミッド麓のゴルフ場の脇の皆が「オー」と言うポイントへ来ても、全く驚いてくれませんでした。日本人は皆驚きますよと説明すると、中国には万里の長城が有るので、ピラミッド程度では、中国人は驚かないよと言われました。私は万里の長城を見たことが無いので、そんなものかと納得しておりましたが、皆様は如何でしょうか。

思い立ちましたので、改めて基本ポイントをおさえてみました。

建設時期:

ピラミッド: 紀元前27世紀頃から2000年間程

万里の長城: 紀元前4世紀頃から同じく2000年間程

ピラミッドの方が圧倒的に古いが、どちらにせよ蒸気機関、内燃機関が有るわけで無く、両方とも家畜、人力で建設されたので、引き分けか。

総規模(体積):

ピラミッド: 最大のクフ王のピラミッドで、235万立方メーター、エジプト全土で80個程度ピラミッドが有ると言われているので、235×80として最大で18,800万え立法メーター

万里の長城: 明代に建造された(一番新しい)部分の平均高さ7.8M、幅の資料が見当たらないが10M程度らしい、長さは二重の部分を合わせて2000KMだが、古代からの全長6300KMを取ると、最大で(古代の分は低い筈なので)7.8X10X6300000で49,140万立方メーター

万里の長城の方が2倍以上の総規模と思われる。

工事の難度(高さと石の重さ):

ピラミッド: クフ王のピラミッドで高さ138M、石の平均重さ2.5トン

万里の長城: 明代の建造部分で最高の高さ14M、石のおよその重さ0.5トンでレンガも多く使われている様です。

技術的な事は解りませんが、高さが高ければ高いほど、1個の石が重ければ重いほど、工事としては、難度が高くなると思います。万里の長城の場合は、稜線に長城が連なる写真を見た事が有りますので、山頂まで石を運び上げる労力が本体の高さを積み上げる以外の労力として必要になるかと思います。(現在のギザの3大ピラミッドも小高い台地の上に有り、エジプトのおんぼろタクシーでは駐車場に行くまでにエンストするのではと思うぐらいの急坂を上がらねばなりません。)

仮に長城のこの余分の労力及び総規模の判定を考慮に入れても、10倍x5倍の難度の差を縮めるのは難しく、ピラミッドが判定勝ちではと私は思います。社長!社長の名前の通り私の結論をして下さい。

思いついて大阪城の城壁の石の重さを調べてみました所、最大の蛸石で重量130トン、ベスト10までの石は50トン以上と、ピラミッド構成の石と比較すると、途方も無い大きさと判明しました。日本の戦国時代の築城の技術は、もしかしてピラミッド級か?金

ところで、不滅の業績などを意味する「金字塔」とはピラミッドの事だと、皆さんご存知でした。恥ずかしながら、私は当時中国人と話をしていて、初めてピラミッドの事を金字塔と呼ぶ事に気づいた次第です。ピラミッドの形がの字に見えるようです。

 

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